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10月27日・共成長・文脈デザイン・幸せのかたち

2012/10/27

*“ジョブズなき会社”のCD論  
トヨタのアクアが提示する「射程3年」の広告
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121015/238078/?leaf_kbn
・顧客との関係を再構築しようと必死だ。
・「未来を明るくしようとするブランドに共感できる」「必要になった時は、社会に貢献しているブランドを選びたい」
・「企業・社会・個人の3者みんながうれしい」という「場」を作ること
・「共成長マーケティング」企業広告に「ソーシャル」の概念が入り込んできたことだ

「世界一おいしいカレー」、あなたならどう作る?
電通CDC 岸勇希氏 第1回
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121016/238150/?P=1
・広く告げることがモノを売る上で、極めて有効な方法だったわけです
・“広く告げること、伝えること”に限界がおとずれたからです。 メディアの多様化と、それに伴う情報過剰による、「そもそも伝わりにくくなった」
・「伝わっても、人が動きにくくなった」=「商品の機能飽和(経済の飽和)」
・「“伝える”ということだけでは、解決できないような、根深く、複雑な課題がたくさん存在するようになった」
・手段の広く告げること自体が目的化してしまった。
・広告の技術=クリエイティブの質に徹底的にこだわり抜く
・人を動かして「課題を解決すること」
・物語=「コンテキスト・デザイン」――文脈のデザイン
・一連のアップル製品=商品の後ろにある企業の意思や想い、そして振る舞いが、商品価値に大きく影響する
・「商品がよければ広告はいらないかも?」ー「これは広告業界に対する挑戦状である」と。

*ワタミ社長渡邉美樹の「もう、国には頼らない。」
学校の生徒は「お客さま」なのか? 投資とサービスの違い

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070627/128505/?leaf_ra

・「サービスの性質」と「幸せのかたち」
・生徒の場合、学校から受けた教育サービスを元手に、自らが成長することが目的であるという点
・教育を受ける、という行為は「消費」より、むしろ「投資」に近い
・学校と教師の仕事は生徒という「お客さま」を幸せにするためにあるんだ
・生徒を「お客さま」と考え、彼らが将来幸せになるため最高の教育を届けよう
・経営とは、お客さまや株主様はもちろん、社員を幸せにする責務を担っている
・社員の幸せというのは、一方的に受け身の幸せではありません。仕事を通じて人間的に成長することであり、自分の夢を実現する力を身につける、そんな主体的な幸せ
・がいま所属している場で、主体的に幸せを見つける存在

10月22日神父の親鸞・心理カウンセラー・偉人たちも庶民・社長への道

2012/10/22

真宗大谷派福壽山圓光寺

http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/index.html

先生方のお話 本田 哲郎神父
「愛することより大切にすることを求めたい―平和を実現するために―」
心に響いた1行ー・人間が救われるのは、キリスト教も含め宗教によってではないんだなと
 ・仏様はそんなことを要求されていなかったでしょ。もっと大事なことを伝えようとされてたでしょ
 ・痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りを身をもって知っている人たちは真実が見えている。
 ・自分がだんだん年を取っていってさびしい思いをしたり、体力がおとろえてきて、若い時に当たり前にできていたことができなくなって悔しい思いをするようになる。そのつもりはなくても、自分の存在が小さくされていく体験
 ・真実を教えてもらおう、感性を学ばせてもらおうという姿勢
 ・手を貸し、物を融通する側が、それを賞賛に値することであるかのように錯覚してはならないということですよね。「ごめん。こんなことしかできなくて。見ず知らずの我々からものをもらって、その日を過ごさなくてはならないあなたの気持ちはわかってます。急場のしのぎとしてこれで我慢してください」という姿勢での関わり方が大事
 ・社会の中で小さくされている人たちの感性に学ぶほうがいいんですね
 ・自分のまわりでしんどいまま放っておかれている人が、安心して暮らせるように、まず自分から動いていくことが平和のための働きです。
 ・宗教者たちに共通する加害事実は、弱者に対する偏見と、上から目線による人権蹂躙、尊厳の否定です。そんなつもりは毛頭なくやってしまっていることに気づかなければなりません。
 ・「裁くな」書いてあるのは、強い立場の者たちに向かってのことばでした。弱い立場の者をあなたたちが裁く資格はないという意味です。

先生方のお話 心理カウンセラー佐賀枝 夏文先生
    「人生ものがたり―悲しみやつらい体験から見えてくるもの―」
心に響いた1行ー・つらい人をななめ後ろから、そっと追っかけていくのが仕事かなと思うんです。邪魔にならないようにして、寂しい時には「あなたの側にいるから」とそっと見守っているのです。私たちは180度視野がありますから、いつも側にいてくれることがわかるところにいるのがいいのかなと思うのです。あゆみが遅いからといって、後ろから押さないように、また前から引っ張らないように
 ・つらくてへとへとになった時に、帰りたいなと思うのが原風景なんだろうと思うんです。
 ・人は誰でもつらいことを隠せば隠すほどつらくなる
 ・どこでも前に出れる人は誕生の承認を得られている人
 ・変わりたいし、変われない人たちです
 ・人生にはそういう転換の時期があって、その転換は地震のように大地が揺さぶられないとわからなかったり
 ・甦って生きるということがある
 ・問題を解決していない人の後ろ姿はだいたい小さいです。少しほっとして帰られる時はふっと大きくなってる感じがしますね。
 ・自分を大事にしてもらうことのお返しは、人を大事にすることでしか返せないと思うんですよ。
 ・一ぺん失われたものはすぐには何ともならないと思うんです。

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
「偉人たちも庶民」なんて当たり前だろう?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121012/238004/?P=1

21世紀的な「人となり」報道においては、「弱点」や「なさけなさ」の描写から説き起こす語り口が定型になっている。
どんな成功者にも必ず挫折はあったはずだ
自分が受け取りたいメッセージだけを読み取るタイプの読解力

Road to CEO 「ぐれたい」から始まった再生機構への道
~元・産業再生機構 専務兼COO 冨山和彦氏(1)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070601/126256/?leaf_ra

「ザ・商売人」ですから、理屈なんかどうでもいい。それで儲かるのか儲からないのかしか関心がない
「我も人なり。彼も人なり」
本音で多様性を認める

10月16日理屈を超えたパッション・稲盛和夫氏のフィロソフィ教育

2012/10/16

フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える
スポーツカー(86)は役員会議で作るべからず
第165回:トヨタ 86 【開発者インタビュー編 その4】

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121012/237989/?P=1

お互いにリスペクトするようになり、エンジニア同士の関係もすごく良くなりました。
そういうパッションみたいなものが、理屈を超えたエネルギーを生み出し、奇跡を呼ぶんです。

JAL再上場 「利益なくして安全なし」2011年春、JAL会長に就いて1年の稲盛和夫氏にインタビュー
 「稲盛さんがいなくなってもJALは大丈夫です」日本航空の植木義晴社長が再生を振り返る・前編

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120914/236839/

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121009/237854/?rank_n

稲盛さんがこう言ったんです。「人間には3種類あります。1つは自燃性の人間。これは自ら燃える。もう1つは可燃性の人間。これは火を付けられれば燃えることはできる。最後に不燃性の人間。これはどうしようもない。君たちはいったいその3種のうちの何になりたいのか」
「お客様に常に新鮮な感動を与えられるようなサービスをやっていこう」
意識改革の象徴にしたのが、中村天風氏の言葉です。「新しき計画の成就は、ただ不屈不撓の一心にあり、さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」。
売り上げが落ちる前提で、出費を削ってどう経費を下げられるか。少しでも傷を浅くして、需要の回復を待つしか方法がありません。
野性的な勇気とガッツ。そして強い意志を持った人が出てくること
お客様に世界一選んでいただける、愛される会社になりたいということです「ちりも積もれば」
「今まで先輩から色々なものをいただいて、僕は機長になることができた。これを後輩に残していく番だな」
優秀な社員がたくさんいました。ただ会社のことを他人事のように考えていた。傍観者や評論家はいっぱいいたけれども、自ら行動し、直していく勇気を持った者が非常に少なかった。

10月13日 真藤恒の技術経営を学ぶ

2012/10/13

経営の情識 事務屋、技術屋ではなく社会人たれ 真藤恒の技術経営を学ぶ

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110330/219228/

 新しい行動に切り換える気持ちを持つことのできる人は、個人としても将来非常に伸びる人である。
自主性を持ち、能力の向上に努めていくならば、必ず道は開ける。 自主、自立、自律の重要性
真藤哲学の基本-歴史をわすれ、歴史を無視した社会行動は何一つ通用しない。政治も経営も、技術だって皆成り立たない。
大体やっていることが歴史の一コマなのだから、歴史の中に一貫して流れている変化の法則を、おぼろげながらでも身につけていく、体得する、それが非常に大切である。
【設計こそすべての基礎】

勇気なきインテリは「熟慮不断行」 真藤恒の技術経営を学ぶ[その2]

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110405/219316/

一回成功の経験を持つこと、自信が出てきてあとは、相乗効果ですべてのものが出てくるようになる。
【人間どうせ百点はムリ、失敗するから失敗しない】 実行せずに、具体的にトライせずに、観念的にいくら100点を狙おうとしても出てくるはずがない。結局、熟慮不断行になってしまう。70点主義でもいいから早く手がけて、早く悪いところを見つけて直す。これには勇気がいる。
人間だからもともといくら努力しても、100点ができるはずがない。
「完璧な仕事を続け」るために、「早くしくじって早く直せ」「見極めをつける熟慮」でした。そして即断行する。おかしい所が生じたら、直ぐ手を入れる。そのプロセスで、必ず、新しい何かがつかめる
苦しみながらやっていくことが熟慮 人間が真剣にそのことに取り組んだときの熟慮というのは、本能的に瞬間的に出てくるものである。その次の瞬間に行動が始まる。
【初めに習ったことを捨てる】  捨てるためには新しいものをみつける能力が必要だ。一つは専門知識、専門外知識であり、そしてもう一つは、それらを支える常識と厚みのある人生観である。
“習って、覚えて、真似して、捨てる”。

「思い切りやれ」、現場を奮い立たせた一言 真藤恒の技術経営を学ぶ[その3]

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110414/219438/

【エラーを恐れずトライせよ】 トライした後で、エラーを見つけ出す能力が、その人に備わっているかどうかである。自分を客観視する能力がいる。高く広い判断力を身につけることが大切だ。
【「やる気」「やらせる気」が責任の本質、するっとうまくいったはムダの証拠】 途中でやり方を変えずに、するっと、もしうまくいったとしたら、初めの計画の段取りが大きすぎる。ムダをうんと持っていたから修正しないで済んだ、非常に能率の悪いオペレーションをやった、ということになる。
【失敗を成功に転ずる】 失敗したものを次にどう生かすかということが大事である。単に平面的に責任を追及するということでは企業は終わりである
【勝ち負けじゃない。真剣勝負の回数だ。ツーとカー。十五秒で事足りる】真剣勝負をやった回数が、その人のポテンシャルなりタレントのベースになる。不真剣なことをなんべんやっても、それは熟慮不断行の材料になるだけである。
【悲観的な見方をすれば、行動すべて消極的になる】 逆に乗り切ろうという心構えで動いていれば、やることすべて能率よく動いていって、必ず切り抜ける。
エラーが表に出て迷惑をかける前に直せ

「もっと勉強を」、社長にくってかかった訳 真藤恒の技術経営を学ぶ[その4]

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110420/219526/

【相手に愛情を感じたときに叱れ】 相手に愛情を感じたときに叱り、相手に憎しみを感じているときには、叱ってはならない
人間は、社会的に相当の恩恵を受けて育てられている一個の社会人である。そうである以上は、やはり社会人として、よりよきものを次のジェネレーションに渡していくという、厳然たる義務
【経営者に孤独はない】決断すべき問題について相談にのってくれる人が山ほどいる。そしてまた衆知によって問題は解決される。そういう意味では、経営者に劇的瞬間も孤独もあるわけがない。
責任を一人で背負いきれずに逃れようとしたり、だれかに半分持ってもらったりすれば、わびしさと孤独を味わうことになるだろう。責任を負う覚悟があれば、それで十分だ。
【アクタレつくにも考える】 能力のある人間は、それだけ自信とプライドを持っているから、それを傷つけないようにしないといけない
後ろから押すようにして、一人ひとりが自分でやる気を持つようにしないと、組織はよどんでしまう。

知識より知恵、ホームランよりバント 真藤恒の技術経営を学ぶ[その5]
【合理化には別の意味もある】 合理化は組織の人間の知恵と、その知恵を実現させる金と、世の中のために働こうとする人びとの意欲
【ホームランよりバント主義で】半歩でもよくなる可能性があるなら、まず実行することが先決である。
苦労を重ね、努力する中で、思わぬアイデアや苦し紛れのとんでもない工夫が生まれたわけです。世の中のイノベーションと呼ばれるものの大半はそうやって出てきた
【知識よりも実行力を】知即行、行即知である。知と行、行と知というものが離れていては役に立たない。
「従来の習慣的なものを一応否定してかかって、その結果を見てまたそれを否定してやってみる」
【本気かどうかが評価のキメ手、数字で評価などしない】マネジメントのカジのとり方の判定であって、苦しいバウンダリーなら、誰がやっても数字は悪くなるし、いいバウンダリーなら、誰がやったって数字が良くなる

読者と考える「スペシャリストから育つゼネラリスト」 真藤恒の技術経営を学ぶ[その6]

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110524/220092/?P=1

技術者でありながら思想・哲学・信念を持ち、また真理の実践を生まれながらにして持ち合わせた人だと思います。日本の社会や企業の将来は、このような人物、賢人をいかに見つけ出すかにかかっています
ゼネラリストは心で仕事をするもの。スペシャリストを持て囃したのは、それらが出来ない人間の仕業でしかない。個別最適しか取れない人間こそ、全体最適を取れる人間に使われるべき

10月9日 ビジョンの“真意” 老化の科学

2012/10/13

河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
『最後につぶれよう!』-社員が熱狂するビジョンの“真意”

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121005/237711/?rank_n

人間にはストレスに対処する力、SОC(sense of coherence)が存在しているのだが、SОCは集団にも存在している。
集団のストレス対処力などというと、「?」と疑問を持つかもしれないけれども、「最近、ベトナムは元気だ」とか、「A企業は元気があっていいなぁ」というのと同じこと。元気のよさを集団でも捉えることがあるように、ストレスに強い企業とか、ストレスに強い地域、なんて具合になるのである。
SОCという力は、「今降っている雨は、自分たちが乗り越えるには意味のあるもの」と判断されたときだけ発揮される。現状は果てしなく土砂降りだけども、どうにかしてこの雨を乗り越えたい。そう意志が働いたとき、初めて人間は雨をしのぐ傘をあれこれ準備し、しんどくても、つらくても、どんなに時間がかかっても粘り強く、太陽が顔を出すまで、ふんばって歩き続けようと一歩踏み出す。
 「共通かつ明確な高い目的意識」と「社会から尊敬される仕事である」――。
この両者が、その集団内のメンバーに浸透しているときはじめてその集団のSОCが高められる。すなわち、この2つのメッセージこそが、ストレス理論から考えた場合の、ビジョンなのである。
自分たちが何をなすべきか?自分たちの会社が、何のために存在するのか?自分たちが社会の誰の、どんなことに役にたつのか?
この3つの解を導く、合言葉を社員たちは求めているのではないか

公益財団法人体質研究会

http://www.taishitsu.or.jp/index.html

この法人は、体質及びこれに関連する遺伝、内分泌、血液、移植、微生物、放射線等に関する研究を行い、体質の改善に貢献することを目的として、研究調査、アイバンク、市民公開講座の開催、出版物の発行等の事業を行っています。
サイト内の『老化の研究』ページを読む

ビジョナリー経営~今こそ「つなぐ化」 > 営業の新常識「超・行動」
「天才」と「ど根性」マネジャーは部下を育てられない これからは「位置データ」があなたの上司に

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121005/237722/?P=1

彼が私に話してくれたのはそれだけだった。真心を持って、お客様のことを考え、何かお手伝いできることがあれば、一意専心、自己の信念にのっとってやり切る。そういう話である。
こうした心構えだけで世界一になるのだから、魔術を使っているとしか言いようがない。
自分が無意識的有能の状態でしている行動パターンを、意識しないと行動できない相手に、正しく伝えられる人は滅多にいない。
一つはそれまで教育を怠ってきたのに突然、新戦力採用に経営資源を集中投下しても、組織のレベルアップにはつながらないということだ。大金をはたいてトップセールスを集めたとしても、結果を残せる営業組織にはならない。
二つ目は営業組織にいる全員の底上げは現実的ではないこと。それぞれのレベルによって教育の仕方は異なる。
何でもあり、拠り所無き営業の世界にあって、「できない論理」で重装備した部下たちを、どのように武装解除させればよいのだろうか。
体系的な理論や学問とまではいかなくても、拠り所が必要である。それは行動と結果との因果関係を数値で表現し続けることだ。

宮田秀明の「経営の設計学」
“玄人”の限界、“素人”の創造性
時代はブレークスルーできる人材を求めている

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20091028/208232/?leaf_ra

普通のプロと一流のプロがいると思う。一流のプロは、異分野の仕事を任せても成果を出せるプロのことを言う。決められた分野のことではしっかり成果を出せるが、異分野のこととなると、そこへは移れないか、移ってしまうと大きな成果を出せないのが普通のプロだ。
その道の玄人、その道のプロも時々素人に立ち戻った方がいいかもしれない。ゼロベース思考と言ってもいい。過去に自分が達成した実績にしがみつくのはやめたほうがいいということかもしれない。ゼロに立ち返って新たに挑戦する元気を取り戻したい。自分を成長させるために。